2018-06-19 第196回国会 参議院 外交防衛委員会 第20号
委員御指摘の米国海軍病院船マーシーについてでございます。一九八六年から就航いたしまして、排水トン数が約七万トン、石油タンカーを改造したものでございます。病院船としての機能を申し上げますと、船内には、ICU八十床を含みます一千床の病床、また手術室十二室のほか、CTスキャンユニット、手術ロボットのダビンチなどを備えてございます。
委員御指摘の米国海軍病院船マーシーについてでございます。一九八六年から就航いたしまして、排水トン数が約七万トン、石油タンカーを改造したものでございます。病院船としての機能を申し上げますと、船内には、ICU八十床を含みます一千床の病床、また手術室十二室のほか、CTスキャンユニット、手術ロボットのダビンチなどを備えてございます。
また、おっしゃいましたように、沖縄健康医療拠点の形成につきましては、琉球大学のみならず、沖縄県や県立中部病院等県内外の多様な機関、OIST、米国海軍病院などとも連携をして、協力を得ながら取組を進めていくことといたしておる次第でございます。
委員御指摘のとおり、本年六月に、災害救援や人道支援を行っている米国海軍病院船マーシーが、パシフィック・パートナーシップ二〇一八からの帰路、東京港に寄港すると聞いております。船舶を利用した災害医療の在り方について考える機会としたいと思っています。 政府では、これまでに自衛隊の艦船や民間船舶を活用した医療機能を補完する実証訓練を実施をしてきているところであります。
政府参考人の出席要求に関する件 ○災害対策樹立に関する調査 (派遣委員の報告) (平成二十九年六月三十日以降の梅雨前線に伴 う大雨及び台風による被害状況等に関する件) (平成二十九年七月九州北部豪雨被害からの復 旧・復興に関する件) (集中豪雨発生時における集落の孤立化対策に 関する件) (激甚災害指定の迅速化に向けた取組に関する 件) (観光産業の風評被害対策に関する件) (米海軍病院船
ただいま御紹介いただきましたとおり、海洋国日本の災害医療の未来を考える議員連盟から、来年のパシフィック・パートナーシップに参加する米海軍病院船マーシーの東京寄港を実現するよう、政府に対して御要望をいただいております。これを受けまして、防衛省・自衛隊といたしましても、本件寄港の実現に向け、内閣府を始めとする関係省庁と連携して取り組んでいるところでございます。
○参考人(佐喜眞淳君) それでは、ただいま島尻先生の方からお話ございました西普天間住宅地区の件でございますけれども、残念ながら、お手元の方には西普天間住宅地区の地図は添付はしておりませんけれども、今年三月三十一日に返還された五十一ヘクタール、いわゆる普天間と、海軍病院がございますけれども、海軍病院の隣に返還された土地でございますけれども、そこに国際医療拠点ということで私ども今構想を練っておりますし、
ただ、米国だって、最初は、自由の女神がある島に、ヨーロッパからの移民や一般大衆を対象にした海軍病院と医師一人、顕微鏡一台の検疫所が前身だったというわけですから、規模で比較する問題では本当はないんだろう、私はこのように思っています。 そこで、中身でいうところのアメリカのNIHとの違いは何でしょうか、今回の構想と。
急遽、まだ当時アメリカの統治下にあった沖縄の海軍病院に運ばれて九死に一生を得たという話がございます。お体が余り丈夫ではなかったということも同じように書いてあったわけでありますけれども、大変に縁のある沖縄には、ケネディ大使に早くいらしていただければなというふうに思っております。
海軍病院は移っているんですからね。移っている分だけまず返すとかということだってできるでしょう。できるはずなのに。だから、別にアメリカに遠慮することはないわけですよ、日本の土地なんですから。 返すということが決まっているのであれば、何で二〇二二年以降になんか設定しなきゃいけないのか。
それから、キャンプ桑江は海軍病院の移設が条件となっているようでございますけれども、もう既に海軍病院は移設して稼働しているんですよね。こうなれば、キャンプ桑江だってすぐ返すことができるんじゃないですか。
○岸田国務大臣 キャンプ桑江につきましては、海軍病院につきましては御指摘のとおりですが、中学校ですとか家族住宅の移設が必要ということで、その作業を今進めている、こうした現状にあります。
○岸田国務大臣 まず、今お話にありました海軍病院につきましては、先日、私も沖縄を訪問させていただいた際に現地を拝見させていただきました。
いわゆる嘉手納以南の基地のキャンプ桑江、キャンプ瑞慶覧を抱えている、いわゆる三連協という、これは嘉手納基地を取り巻く沖縄市、嘉手納町、北谷町の、そのメンバーのお一人でもいらっしゃるんですが、どういう話をなさったかといいますと、今、北谷町は、キャンプ桑江の跡地、いわゆる海軍病院が宜野湾市の普天間神宮の近くにもう移設をしましたので、その海軍病院の跡地利用で、嘉手納基地の中にあるアメリカの大学を誘致して、
また、被疑者が当初、米海軍病院に入院していたこと等から、起訴前の身柄引き渡しを要請することが想定されていなかった、こういうことではありました。
教育というのは、もう大変その点大賛成なんですけれども、もう一つ、医療の交流という観点で、海軍病院は宜野湾市に移りましたけれども、今後、地域の医療の交流の中で、海軍病院との交流という中で、町長のお考えがもしございましたらお聞かせいただきたいと思います。
したがって、私は、キャンプ桑江海軍病院、これはもうSACOで返ってくる、いよいよもう近々返ってくるような状況になっておりますので、何とかいわゆるその跡地の一つのモデルとして、そこの大学を一つだけ外に出してもらう、基地の中じゃなくして外に出してもらうというようなことで、いわゆるアメリカの大学生も、そして沖縄も、あるいはまた沖縄だけじゃなくして日本全体からの、ここに留学できるような形のものをつくっていけるんではないかと
○参考人(野国昌春君) 海軍病院は、いわゆるインターン生を本土の医学生も含めて数名受け入れています、毎年毎年ですね。私も、最近は行っていないですけれども、卒業式とかインターン生の修了式とかには何回か参加をさせてもらいました。そういった人材交流等もございます。
つけ加えて、私、ことしの二月の予算委員会で取り上げましたけれども、宜野湾の伊波市長が、当時の在日米大使館のグリーン安保課長、今沖縄の総領事をしていらっしゃいますが、沖縄の海兵隊の家族は現在八千人であり、九千人がグアムに移転すれば沖縄には家族住宅は要らなくなる、したがって海軍病院の建設も不要になる、このように指摘したのに対して、グリーン課長は、沖縄から八千人移るけれども、別のところからやってくる、このように
最後に、私も、ことし二月二十三日に米国大使館で普天間飛行場の早期返還と海軍病院の移設見直しを要請したときに、沖縄から海兵隊八千名と家族九千名がグアムに移転するので、SACO合意で建設計画が始まり、埋蔵文化財問題でストップしている海軍病院建設を見直すように求めた際に、グリーン安全保障課長から、沖縄の海兵隊員の定数は一万八千人だから、八千人移っても一万人まで外から兵隊と家族が移ってきますと説明されたときには
普天間飛行場の早期返還、海軍病院建設反対の要請であります。私も志位委員長と一緒にその要請を受けたわけですが、その際、伊波市長が、在日米大使館のグリーン安保課長と対談したときの話を紹介しておりました。
○浜田国務大臣 SACO最終報告に盛り込まれました住宅統合及びキャンプ桑江の返還に伴う海軍病院の移設につきましては、平成十二年七月十四日、那覇防衛施設局長から宜野湾市長へ文書で依頼したことであります。これは前市長でございます。
○中曽根国務大臣 ロードマップにおきましては、現在海軍病院の所在するキャンプ桑江については全面返還が、そして、その移転先でありますキャンプ瑞慶覧につきましては、部分返還及び残りの施設とインフラの可能な限りの統合と記述されているわけでありまして、そういうところから、海軍病院をキャンプ桑江からキャンプ瑞慶覧に移設するということでございます。
きょうは、海軍病院問題について、外務大臣と防衛大臣にお尋ねをいたします。 SACOの最終報告で、キャンプ桑江の返還条件として、海軍病院のキャンプ瑞慶覧への移設が掲げられております。ところが、どのような経緯で日米両政府が海軍病院移設予定地として宜野湾市地域を選定したのか、明らかにされておりません。 いかなる検討、交渉過程を経て海軍病院移設先が選定されたのかをお尋ねいたします。
私は、その日の昼に、ベセスダ海軍病院に傷付いた米兵のお見舞いに、お見舞いのために病院を訪問をしたわけでありますが、私が訪問したことについて、私に対して直接ではないんですが、私の家内に対して、首相が訪問していただいたことは大変うれしく思っていると、そんな感謝の表明もありました。
ただ、一例で申しますと、例えば、米側の分担として海軍病院の増築というのがございます。これは、沖縄でもそうですけれども……(笠井委員「基地施設です」と呼ぶ)一例として海軍病院ということで申しますと、グアムでは、米軍の全軍が海軍病院を利用しているということを聞いております。今回の海兵隊の移転に伴って増築はされます。
次に、キャンプ桑江も全面返還と言っているが、そこにある海軍病院の移設予定地の宜野湾市長は反対をしています。果たしてキャンプ桑江の全面返還はいつのことか、こういうふうに思わざるを得ないのであります。 今言った、那覇軍港の全面返還あるいは牧港補給基地の全面返還、キャンプ桑江の全面返還、来年三月までにはっきり決まったとしても、何年後のことかわからない。
それからもう一つ、キャンプ桑江の関係で、海軍病院のお話がございました。 現在、私ども、SACOに基づきまして移転を進めているところでございまして、今設計をやっているところでございます。
そして、海軍病院の件については、伊波市長が今後オーケーしてくれるかどうか、これによって全面返還できるかできぬかは決まるわけであります。ぜひ、その点はしっかり、今回2プラス2で決定したことが実現できるようにやっていただきたい、こういうふうに思っているわけであります。 次に、基地返還によって職を失う基地従業員の処遇の問題であります。
キャンプ瑞慶覧は海軍病院で、それがコートニーに行くはずはない。宜野湾に行って、嫌だと言われている。それから、貯油施設なんて兵員はいない。牧港補給基地は、恐らく那覇軍港、浦添の埠頭の横になるだろう、コートニーはすっぽりあくんですよ。遊休化するんじゃないですか。そういうことを政府は念頭に置いていませんか。アメリカの出方を待っているだけですか。
キャンプ桑江につきましては、先生御承知のように、大部分の返還につきましては、SACOの最終報告におきまして、海軍病院がキャンプ瑞慶覧に移設され、そしてその残余の施設がキャンプ瑞慶覧等に移設された後に、これが先生御質問の九十九ヘクタール、返還することになっております。